看護師

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患者との信頼関係が築けたとき

総合病院の途中から患者さんの受け持ち制が開始になった。アナムネを取った患者さんは必然的に自分の担当患者さんになり、日勤のときには、必ず自分が受け持ちをすることになりました。初めは戸惑いましたが、患者さんと話していくうちに、他の看護師は知らないことや、趣味の話など患者さんの多くを知ってとても楽しかったです。

ある日、癌の末期の患者さんの受け持ちになりました。癌からくる痛みと戦っている泌尿器科の女性の患者さんでした。話をするより、痛みを薬だけではなく、看護から何か出来ないかというのを考えていました。

とにかく、骨に移転していたため、動くと激痛が走るのです。尿の管を入れれば動かなくて済みますが、患者さんはそれを拒否していました。ベッドサイドにポータブルのトイレを置き、移動して行うのです。しかし、そこまでの動作の痛みが半端じゃなく、移動する際は必ずナースコールを押していただき介助するのです。

そして、やっとの思いでベッドに戻ったあとは、背中をさすり、痛みのある場所を暖めてみたりするのです。こんなことしか出来ない私は自分が情けなかったのです。しかし、患者さんは、いつも「ありがとう」と言ってくれるのです。背中をさすりながら泣きそうになったこともあります。家族は息子さん一人だけで、ほとんど面会にはいらっしゃいませんでした。

私は時間のある限り彼女のもとへいき、話を聞いたり、背中をさすったり、足をさすったりしました。患者さんの好きなものを聞いたり、痛みをそらすために世間話をしたりしました。これは、あとから聞いて分かったことなのですが、患者さんは、私以外の看護師には一切自分のことを話してはいなかったみたいです。私は、こんなことしか出来ないといつも自分を攻めていました。

そんなある日に息子さんが1ヶ月ぶりくらいに面会にいらっしゃったのです。席を外しました。そして1時間くらいあとに、ナースコールで患者さんに呼ばれたのです。「うちの息子まだお嫁さんいなくてね、あなたがお嫁さんになってくれたら、安心してあの世に行けるんだけどね」と言うのです。私はそのときは、「そんなことは考えないで、今は自分のことだけ考えましょう」としかいえませんでした。

そして、その日から2日後の私が休みの日の夜に彼女は亡くなりました。いきなりの呼吸停止だったそうです。私は寮だったため、先輩の看護師が電話をくれました。慌てて向かうともう霊安室のほうに移送されていました。着の身着のままの状態で霊安室へ行くと、息子さんが泣いていました。お焼香をあげて、彼女の安らかな顔を見て泣いてしまいました。

しかし、あまり取り乱せないので、息子さんに一礼して帰ろうとしたときに「あの・・・母からいわれていたのです。看護師さんが、リュックサックが好きだと。好きな色は黒だと」と言って黒いリュックサックを私に見せたのです。そして「これ、もらってください。母は亡くなる前に私にこのようなリュックサックを買ってきて看護師さんにあげてと言ったのです」と。

本当はそのような物は受け取ってはいけない規則でした。しかし、その場にいた主任が頷いてくれたのです。私は頂きました。患者さんの思いが詰まったリュックサック。私はこんなにも、患者さんに思われていたんだと涙が止まりませんでした。受け持ち制が始まって初めて亡くなった患者さんでしたが、一番気持ちが通じた患者さんでした。受け持ち制度は難しいこともありますが、心が通じれば何でも相談してくれるのです。私は受け持ち制には賛成です。患者さんと深く関われるからです。

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